小さいとき、自分以外の人には世界がないと思っていた。作り物の人間だと。
つまり世界は自分を中心に存在し、他人はただのロボットだと。
でも10年くらい生きて、どうやらすべての人間には世界があるらしいことがわかった。
だから自分は特別ではなくて、周りの人の気持ちを考えたり、その人の気持ちになって世界をみたりするようになった。
世界があるということは何か決断を下し続けることでもある。一人一人にそれぞれ価値観があって、それに従って決断している。だから価値観を持たないと決断の善し悪しは生まれない。
そもそも決断というのは、どちらを選ぶか分らないものをその人の価値観によって選択するのだとすれば、言い換えると価値観が形成されたときに、決断は終わっているともいえる。
ならば、わたしはこれがいい、こんなのがすき、と自分の価値観を決めてしまうことはとても退屈だ。その後の人生が決まってしまうからである。
そうはいっているものの自分はとても優柔不断である。故に価値観という大それたものを持っていなくて、いつもまわりに流されて道を選んできた。
価値観がふわふわしているのは自分の1つの理想ではあるが、実際けっこう苦しい。
いいと思ったものを次の日には非難したり、良くないと思っていたものを好きになることの繰り返し。
最近はその程度が強すぎて、何もわからなくなってしまった。自分なにしたい?自分意識ある?