毎日設計にあけくれる人
毎日研究にあけくれる人
毎日会社に行く人
毎日家事をする人
毎日冗談を言う人
毎日車を運転する人
毎日バイトにあけくれる人
毎日女にあけくれる人
どれかしら何かにあけくれる人は、その単調さと同時に多様性を持っていないと続かない。
多くの人に会うこと。
これさえあればそれなりに楽しい。
そうなってるとは限らないんだけど。
大学生って色んなことを掛け持ちしている。
勉強、サークル、バイト、恋愛とか。
それを生活のローテーションにうまく組み込めたら最高の大学生活だ。
誰にも文句は言われない。
自分も遊んでて楽しいし。
しかしそのローテーションは破壊された。
僕は設計に壊された。
忙しすぎてバイトはできない。サークルもできない。
女の子と遊ぶにも時間と出会いがない。
建築設計は好きだ。しかし、頭を使いながら狭いところで1人で12時間以上考え込むのはよくない。
いやでもこういう哲学みたいなこと考えてしまう。
建築設計を専門にしたら設計8割、余暇2割みたいな生活しかないのだろうか。
そんなのクソだ。
僕は負けず嫌いだ。
人よりもいい設計作品をつくりたかった。それだけなのにこうなってしまった。
まじめに頑張ることが否定されたようだ。以下グチ↓
うちの大学の設計教育もよくない。先生たちはほとんど見てくれない。
とくに去年から震災関係で舞い込んだプロジェクトに没頭していて学生を労働力にしかみていない。確かに勉強にはなる。しかし少しは本来大学で教えるはずのことや個人の作品を見てほしい。
僕は去年からずっと休んでいない。春は震災、夏は院試と雄勝、冬は卒業設計、春は研究室。全部自費で動いているからバイトでためた貯金も消えた。卒業旅行なんて隣の県とかしかいけない。
うだうだ文句たれてすいません。
なにが言いたかったかというと何かに忙しすぎて他の人生を忘れないようにしたいということだ。
何かにあけくれる人は互いになかなか交わらないが努力して色んな人生を覗き込みたい。
設計をやるにしても色んな人と出会って刺激をうけることは予想外の化学変化をおこして結果としてプラスになることが多い。
人と一緒に成長したい。
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