なにかとても悪いスパイラルにはいってしまったみたいだ
ぬけだせない
どうしたらいいんだろう
自分のやりたいことはなんだろう
10年後、20年後どんなふうになりたいんだろう
いまやってることの有益な部分はわかるんだけど
もう生理的にやりたくない
うまく人に説明できない
うまくわかってもらえない
改善するにはどうすればいいか分からない
本当につかれた
色んな本や言説読んでもなにもピンとこない
あこがれない
べつにやりたくない
プライドをもって何かをしたい
やりがいを感じたい
忙しく完成にむけてひたすら努力したい
本当に苦しい
居場所がない気がする
自分がやりたいことを建築界の系譜にのせられない
だれに教わればいいんだ
それともわがままなのかな
ただフラストレーションがたまっているだけなのか
みんな何で建築やってるの
建築がすきだから
建築がなにかできるとおもうから
僕にはりかいできない
建築も建築家もほとんどすきじゃない
自分建築で何がしたいんだろう
けんちく
けんちく
けんちく
うぅ
2012年8月9日木曜日
2012年8月8日水曜日
建築家の解散
「すべては建築である」という彼の発言は、当時の世界の状況だからこそ生まれたのか。
1960年代、モダニズム、またはメタボリズム、可動建築などが一世を風靡していたころ、建築は大きく揺さぶられていたようだ。第二次世界大戦が終わり、経済成長と共に日本では多くの箱がつくられていた頃だ。
ハンス•ホラインは危惧していた。彼は、建築という曖昧な概念が、彼らの日常的な、職業的な作業としてのみ解釈され、旧来の、せまい枠にますます閉じこもり、これを保持することに汲々としているような建築家たちを、その根底から揺さぶろうとした。
もっとも建築の実作において付随させた新たな象徴性は、キャンプなバロックといわれるようなもので、貴族趣味、アナクロニズム、高踏的なものへの偏愛がひそんだマニエリスム的性向を帯びたものである。
環境のなかに投入される全決定要素こそが建築である、つまり、われわれの世界に発生するすべての出来事が建築となるという思想は、建築を情報としてとらえ、非建築的、非実用的な形態を内包する。その背景には発展した建築技術や機械、タナトスとエロスの衝動などが存在する。
磯崎新は、建築の提案が非現実的な色彩をおび、空想的なものでありながらその存在を獲得し、有効性をうむのは、その建築家が社会から疎外されているときだけであるという。
僕にはホラインが、近代化の一方で失われていく重要な何かと、彼自身の体験からくるタナトスとエロスの探求に身を任せているように感じる。そして、「すべては建築である」という彼の発言は外向きのもので、実際は彼自身、すべてが建築であると思っていないのではないか。
「すべては建築である」は当時の情報端末の発展やホラインの体験からうまれたもので、現代でそのままその意味をとらえるのはやや危険である。今現在、実態を持たない建築の提案は、それほど建築界では重要なインパクトを与えていない。なぜなら、建たないから。たとえ建ったとしても、その他の条件によってメッセージとは引き換えに失うものを多く持つ。
現代において建築を取り巻く環境はますます複雑化し、多岐にわたっている。建築は様々な分野を横断して考えられることが求められるが、一方で、実体としての限界もある。
僕の今の考えは、無理に建築の概念を拡張させるのではなく、建築が責任を持つ範囲をもう一度見直すべきだということである。
そしてその範囲の決まられた建築の世界から逸脱する場合は、建築から撤退することが妥当ではないか。
「すべては建築である」を現代において読み直すと「建築から撤退しろ」になると考える。
壮大な意思によって固められた客観的視点からの分析を通して理想を掲げ、程度を調節するのみにとどまるのなら、建築から撤退しろ。建築家の解散。
1960年代、モダニズム、またはメタボリズム、可動建築などが一世を風靡していたころ、建築は大きく揺さぶられていたようだ。第二次世界大戦が終わり、経済成長と共に日本では多くの箱がつくられていた頃だ。
ハンス•ホラインは危惧していた。彼は、建築という曖昧な概念が、彼らの日常的な、職業的な作業としてのみ解釈され、旧来の、せまい枠にますます閉じこもり、これを保持することに汲々としているような建築家たちを、その根底から揺さぶろうとした。
もっとも建築の実作において付随させた新たな象徴性は、キャンプなバロックといわれるようなもので、貴族趣味、アナクロニズム、高踏的なものへの偏愛がひそんだマニエリスム的性向を帯びたものである。
環境のなかに投入される全決定要素こそが建築である、つまり、われわれの世界に発生するすべての出来事が建築となるという思想は、建築を情報としてとらえ、非建築的、非実用的な形態を内包する。その背景には発展した建築技術や機械、タナトスとエロスの衝動などが存在する。
磯崎新は、建築の提案が非現実的な色彩をおび、空想的なものでありながらその存在を獲得し、有効性をうむのは、その建築家が社会から疎外されているときだけであるという。
僕にはホラインが、近代化の一方で失われていく重要な何かと、彼自身の体験からくるタナトスとエロスの探求に身を任せているように感じる。そして、「すべては建築である」という彼の発言は外向きのもので、実際は彼自身、すべてが建築であると思っていないのではないか。
「すべては建築である」は当時の情報端末の発展やホラインの体験からうまれたもので、現代でそのままその意味をとらえるのはやや危険である。今現在、実態を持たない建築の提案は、それほど建築界では重要なインパクトを与えていない。なぜなら、建たないから。たとえ建ったとしても、その他の条件によってメッセージとは引き換えに失うものを多く持つ。
現代において建築を取り巻く環境はますます複雑化し、多岐にわたっている。建築は様々な分野を横断して考えられることが求められるが、一方で、実体としての限界もある。
僕の今の考えは、無理に建築の概念を拡張させるのではなく、建築が責任を持つ範囲をもう一度見直すべきだということである。
そしてその範囲の決まられた建築の世界から逸脱する場合は、建築から撤退することが妥当ではないか。
「すべては建築である」を現代において読み直すと「建築から撤退しろ」になると考える。
壮大な意思によって固められた客観的視点からの分析を通して理想を掲げ、程度を調節するのみにとどまるのなら、建築から撤退しろ。建築家の解散。
2012年8月4日土曜日
「ヴィラにおける人間の自然に対するふるまい」
今回建築史の授業でいくつかのヴィラを学び、一口にヴィラといえども、建てられる年代や、敷地、依頼主や建築家の意図によって様々な種類があることがわかった。すべてに共通していることは庭園を所有していることと斜面地に建ち、眺望が確保されていることである。斜面の勾配や邸宅、庭園のデザインはそれぞれ異なる特徴を持つ。
庭園は自然を人間の手によってコントロールしたもので、そのデザインは建築家や依頼主などの当時の思想を反映していると考えられる。ヴィラにおける庭園はどのようなものであったのだろうか。
ヴィラが建てられ始めるルネサンス期は、それまで曖昧な関係であった芸術と科学が直接関係付けられていった。古代ローマのウィトルウィウスは、人間の身体と円との関係について論じ、ルネサンス期にアルベルティによって発展され、自然の数学的翻訳に基づき芸術における美学の法則が述べられている。つまり人文主義からの系譜で庭園の幾何学的な整形はつくられた。ヴィラは、周囲のランドスケープを取り入れ、自然から受ける無秩序から隠れた法則を導きだし、理想を表現する場としてつくられていった。
ヴィラの敷地は眺望上の理由で斜面地に建てられたが、平面的に無秩序に広がる自然を、地形を巧みに利用して風景のレイヤーを作り出している。その眺望の先のフィレンツェや他のヴィラはその自然の風景のレイヤーの1要素として取り込まれ、離れていながらも遠くの空間を所有する感覚が、風景により秩序をもたらしたのではないか。また庭園内に入って初めて開ける眺望や、庭園内の幾何学的に制御された自然は自然の無秩序さを軽減し、抽象化することで理想の風景を分かりやすく提示したのではないだろうか。
ヴィラの庭園や邸宅はルネサンス期からマニエリスム期に移るにつれて、遠近法によってより自然を劇場化したり、グロッタや噴水、彫像などをつくったりすることによって、古典古代の典範からの逸脱を許容し、自然の創造を超えた祝祭的な空間を作り出す場となっていく。場面展開における論理的な構成は庭園内にストーリーをつくりだすために必要であったと考えられるが、1つ1つの場面ではより断片的なありのままの自然の模倣が自然の永遠の活力を彩る絶えず変わりゆく形や力を賛美し、それらが芸術の創造を通しのみ表現できることがブオタレンティによって表明された。そこでは景観の構成要素としての幾何学はフィレンツェを指し示す軸線のみになっている。つまりフィエゾレ、カステッロ、ペトライア、ペトリアーノのヴィラなどに見られるように一見全く様相の異なる庭園がルネサンス期からマニエリスム期にわたって散見されるが、それらは実はすべて自然に対して人間がどのようにふるまうかという葛藤の中で生まれてきたものであるのではないか。それは幾何学的であったり、彫刻的であったりと様々であるが、その場面に出会う瞬間やシークエンスはとても大事にされている。
自然に対して人間がどうふるまうかという問題は現代の建築や都市においても語られる。主に都市において自然は植物に翻訳され、景観は建物のファサードになる。都市の風景は高層ビルのみが独占するが、フィレンツェのヴィラでみられるような空間のレイヤーがある風景ではなく、広がるのは等価な建築群の集合によってつくられる雑多な風景である。郊外は都市に比べて幾分自然に溢れているが無秩序である。その中の建築もそれぞれの土地の所有者がバラバラに建てるので、建築群も無秩序である。
フィレンツェで議論された自然は隠された原理を持ち、永遠の活力を示す神秘的かつ学問的なものであった。それらの真理を明らかにしようと幾何学的に秩序化したり、彫刻や自動人形などで模倣したりすることで表現し、庭園として整えることで風景や庭園内のファンタジーを作り出していた。人間が歩き、シークエンシャルに自然と出会う瞬間を何よりも大切にしていたことが感じられる。自然に対してとても謙虚な姿勢であった。
フィレンツェのまち全体としてのふるまいも自然に対して謙虚であったように思う。クーポラを中心とし、ある一定の範囲におおよそ同じ素材、規模で建てられたことは、離れた場所から見た時、風景の1要素として秩序だっていたのではないか。
風景を構成する要素である山や谷、空、都市などスケールに対して謙虚であり、ヴィラから眺めるとき、アルノ川や山、空などの自然景観との調和がなされていたと推測している。
現代の都市においても自然景観を機能だけでなく美的観念をもってその場所の風土的な特質を読み取り、表層だけの景観にこだわるのではなく、風景として空間を秩序立て、ある一定の離れた距離から町を眺める視点を大事にすべきではないだろうか。そうすることで無秩序に広がる都市の中で、身体に呼応する、自分のまちを所有する感覚を持つことができるのではないだろうか。
装飾、ファサードを選択する理由の「自然さ、純粋さ」
現代において建築を設計する自分にとって、建築の設計とはその敷地環境を読み取り、施主の要望を反映させ、その場所に相応しい自然さを持ち、同時に新しい環境を生み出すことだと考えている。漠然としているし、マニフェストともいわれるような建築家のエゴみたいなものが現れるかもしれない。きれいにプレゼンはするが、実際のところ条件と自分の理想のバランスを調整しているだけとも言える。
現代の建築は都市や町に住むすべての人が享受するものではない。建築界で大御所といわれる建築家の作品でさえ、わずかな人にしか受け入れられないこともある。ましてやその思想を理解して利用している人はほとんどいないのではないか。かくいう自分も、建築家の視点でみる建物もあれば、一般の人と何の変わりもない、近いとか安いとか分かりやすいだとかの基準で建物を利用する。建築家の提供する環境や空間にひたる時間は意識して足を運ばなければほとんど得られないのが現状である。
西洋建築史を学ぶと、建築はその時代においていつも重要な役割を負ってきたように感じる。特に宗教建築は、神と人間をつなぐものとして、人々の習慣の一部として、または都市の景観として重要な役割を担っていたのではないか。様式ごとの形態の変化も宗教上の理由や芸術として変化を続けてきたように感じる。何か現代で設計する自分とは大きく異なる価値観で建築がつくられている。建築の設計とはなんなのだろうか。
先日、スイスのETHのピーター・メリクリのスタジオの様子とその作品が竹中工務店A4ギャラリーに展示をみてきた。メリクリのスタジオは課題のはじめに48枚の様々な国や文化の写真や絵画を提示する。スタジオの履修生は彼らのバックグラウンドにはない風景を目にし、考え、設計のコンセプトを抽出する。ここまでは少し変わった設計課題設定としてそれほど珍しくない。しかし、スタジオで生まれてくる作品達はヨーロッパの街並に自然と落ち着くような作品に仕上げる。これは現代の日本の建築設計を学んできた私にとって衝撃的であった。建築設計のコンセプトを抽出するところまでは同じなのだが、そこからの設計プロセスが違う。私はおそらく客観的にふるまいながら新しい建築へと飛ばしていこうとするプロセスをとってしまう。出来上がるものは新しい形態を示すが、それが本当に都市の中に建ったらどんなに奇妙に感じることだろうか。
「形態は機能に従う」「近代建築の5原則」「less is more」などの近代建築、またはモダニズムは装飾を否定してきた。その結果、どの都市にも似たような風景が広がった。ポストモダニズムはモダニズムを批判し、装飾が復権する。しかし、コンテクスチャリズム的な引用でない部分も多く見られ、日本ではわずか10年ほど消え去ってしまう。このように近代における装飾は建築の本体とに付随するもの、表面上のもの(キッチュ)として語られてきた。そしてほとんどの場合、文脈のない装飾は忌み嫌われてきた。
私が知る限り西洋建築史における装飾の出現はギリシア建築のオーダーの柱頭部分のデザインが最初で、その後ローマ建築、ルネサンス建築以降でオーダー自体が装飾として用いられ続けることになる。ゴシック建築のファサードにみられるバラ窓や彫刻も装飾である。しかし、ルネサンス期のイタリア人いわく両者には決定的な違いがあり、「芸術が頂点を極めた古典古代」を継承するがゆえにゴシックは伝統と断絶していると主張した。
つまり美的規範としてのオーダーの装飾は単なる表層的な装飾ではないということである。それを言ったらゴシックだって中世スコラ哲学の理念、つまり神を中心とした秩序を反映した構成で、ゴシック教会を彩る様々な装飾は、聖職者たちの世界の対する理解そのものであるとも言える。
ルネサンス建築は結局その後、マニエリスムを経てバロックへとつながり、過渡な装飾を示すような建築も現れる。グリーク・リヴァイヴァルやゴシック・リヴァイヴァルではそれぞれの構造的合理性や明確性の正当さが指摘され、装飾としてのオーダーは批判された。しかし、それらも結局は歴史主義であり、本当の意味で表面的装飾がなくなったのはモダニズムだろう。しかし、モダニズムさえ、ベンチューリによってある意味装飾的であることが指摘された。
ではそもそも装飾とはいったいなんなのだろうか、建築のファサードなのか、なくてもいいものなのか、メッセージなのか。西洋建築史を振り返ると、初期キリスト教建築のバシリカ式教会のように引用しては発展するといったことが繰り返され、最初は形態と機能が断絶していたものを、徐々に形態を機能に従わせるように発展をしてきた。ベンチューリのあひるの指摘だと、「形態が機能にしたがう」建築はその建物の用途が形態になり、装飾にもなっているものも内包するということだろう。つまり、「形態と機能が断絶」していない限り、無装飾はありえない。一方でそれは折衷主義や様式主義、またはラスベガスにみられるような「様式と機能が断絶」した建築も内包する。おそらくどちらが正しいということはないのだろう。
さきほどの装飾論に評価軸を与えるとすると、あれは装飾またはファサードを選択する理由の「自然さ、純粋さ」といったところだろうか。この視点で見ると西洋建築史における変遷はそれぞれの純粋さをもっていたように思える。もちろん選択する理由の「自然さ、純粋さ」というのは対象によって異なる評価軸のためよくないかもしれない。なぜならそれは宗教者側の視点であったり、パトロンの視点であったりもするからだ。
それはさておき、人々の意識に訴えるような違和感を与えやすい対象は存在すると私は思う。例えば建築が建つ周辺の景観を対象とすると分かりやすい。建築は大きく、風景に大きく影響を与えるのでこの意味での自然さや純粋さは必要となる。つまりファサードである。現代においては古い西洋建築のほとんどが観光地になっているように景観としてだけ見たときの自然さや純粋さを持ちながら目を引くものになっている点は評価されるべきだと思う。先にあげたメリクリのスタジオの作品はその自然さ、純粋さを持っているのだろう。宗教上の理由を建築に求められない現代では、よりこの景観を対象とする評価は強いように感じる。 ルネサンス期のブルネレスキのフィレンツェ大聖堂のドームにしても、純粋な古典古代の再生と言うよりも自らの構想を実現するためにその目的に応じて選択している点、装飾の自然さ、選択される純粋さが重要であったのではないだろうか。
景観に対する装飾やファサードを選択する理由の「自然さ、純粋さ」とはなんだろうか。おそらくこれは案外簡単で、色、材料、プロポーション、密度が大きく影響を与える。おそらく周辺と同じものほど景観になじむであろう。ディティールや位置、規模は変化し得るし、先ほど挙げた項目の中にも変化してもなじむものがあるだろう。
以上から現代の建築がある種の自然さを失っている、または学生が形態的に目新しい建築を目指そうとする理由を2つ考察する。
1つは現代の建築が周辺環境に対する自然さを失っているからではないかと推測する。例えば現代の日本の郊外にひろがる自然の風景は、スーパーがあり、ハウスメーカーの戸建住宅があり、国道を車が走る風景である。その場所で建築を求める人々はその風景が前提となる。またそのような風景の中で育った建築を学ぶ現代の学生は、豊かな自然や八百屋や魚屋さんが建ち並ぶ古き良き風景などの原風景にリアリティなど感じない。設計において各人の中でリアリティあるものしか扱われない傾向は、大学の最初の設計課題でよくみられるそうだ。しかし、現代の建築家はハウスメーカーのようなキッチュな意匠をまとったものを建築としてみなさず、現代の建築の価値観を学生に植え付ける。
建築家の作品には傾向があり、それはある意味、モダニズム建築のように似たようなものがあちこちに建てられる。なぜなら建築家は新しい建築の内部空間に腐心しているからだと考える。建築の外部は自由につくれないし、監理する人も様々であるから自由に扱える内側に向くのは当然である。もちろん敷地の周辺環境を考え、それをふまえて設計するのだろうが、あくまで建築の内側に向く。一概には言い切れないがこの傾向は現代の建築家には多かれ少なかれ必ず存在する。
つまり外からみたときの建築がその場にあらわれる「感触」みたいなものがおろそかになってはいないだろうか。さきほども言ったように建築は大きい。色や材質が変わるだけで外から見る雰囲気はかなり変わる。メリクリは建築家ヴァレリオ・オルジアティと彫刻家のハンス・ヨゼフソンに師事したが、私はこのことがメリクリの「自然さ」と関係がなくはないように思う。彫刻は外から見るもので周辺環境に対するモノの存在を考える分野である。ルネサンス期のブルネレスキは金銀細工士、ミケロッツォは彫刻家でもあった。このようにモノの周辺環境に与えるリアリティは建築家にとって必要な能力ではないか。装飾はそのリアリティの上で判断されるべきものであると考える。
もう1つは建築を求める側の思想が不足しているため、建築家の思想が一人歩きしているのではないかということである。社会と建築家は剥離しているという考え方がある。建築家は「発注者(施主)の命令にしたがって建築をつくる技術者である」と一般的に解釈されているということだ。建築家はもちろん施主のために建築をつくるが、それだけではなく、その周辺環境など様々なファクターを考慮して建築をつくる。その環境を領有するものすべてのためにつくるのである。そこには物理的な環境だけでなく、ときにはメッセージが込められることだってある。
現代において家を建てるときまたは選ぶとき、まず何を基準にするだろうか。広さと値段である。次に、日当り、駅やスーパーとの距離。これらが何を示すかというと先ほど力説した周辺環境にたいする自然さが施主側が考慮しないということだ。ファサードの色や建物の大きさはもちろん装飾なんて論外である。ごくたまに装飾が用いられるがそれは周辺との同調ではなく、差異化の手段としてキッチュ的に用いられる。世間的に無頓着ともいえる建築の外部環境への影響は統一感のないごったな景観を生み出す。建築家はそれぞれの思想を主張し、一般の建築と剥離する。このような状況が一般の人々と建築の剥離を招いているのではないか。
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