2012年8月4日土曜日

「ヴィラにおける人間の自然に対するふるまい」


 今回建築史の授業でいくつかのヴィラを学び、一口にヴィラといえども、建てられる年代や、敷地、依頼主や建築家の意図によって様々な種類があることがわかった。すべてに共通していることは庭園を所有していることと斜面地に建ち、眺望が確保されていることである。斜面の勾配や邸宅、庭園のデザインはそれぞれ異なる特徴を持つ。
 庭園は自然を人間の手によってコントロールしたもので、そのデザインは建築家や依頼主などの当時の思想を反映していると考えられる。ヴィラにおける庭園はどのようなものであったのだろうか。
 ヴィラが建てられ始めるルネサンス期は、それまで曖昧な関係であった芸術と科学が直接関係付けられていった。古代ローマのウィトルウィウスは、人間の身体と円との関係について論じ、ルネサンス期にアルベルティによって発展され、自然の数学的翻訳に基づき芸術における美学の法則が述べられている。つまり人文主義からの系譜で庭園の幾何学的な整形はつくられた。ヴィラは、周囲のランドスケープを取り入れ、自然から受ける無秩序から隠れた法則を導きだし、理想を表現する場としてつくられていった。
 ヴィラの敷地は眺望上の理由で斜面地に建てられたが、平面的に無秩序に広がる自然を、地形を巧みに利用して風景のレイヤーを作り出している。その眺望の先のフィレンツェや他のヴィラはその自然の風景のレイヤーの1要素として取り込まれ、離れていながらも遠くの空間を所有する感覚が、風景により秩序をもたらしたのではないか。また庭園内に入って初めて開ける眺望や、庭園内の幾何学的に制御された自然は自然の無秩序さを軽減し、抽象化することで理想の風景を分かりやすく提示したのではないだろうか。
 ヴィラの庭園や邸宅はルネサンス期からマニエリスム期に移るにつれて、遠近法によってより自然を劇場化したり、グロッタや噴水、彫像などをつくったりすることによって、古典古代の典範からの逸脱を許容し、自然の創造を超えた祝祭的な空間を作り出す場となっていく。場面展開における論理的な構成は庭園内にストーリーをつくりだすために必要であったと考えられるが、1つ1つの場面ではより断片的なありのままの自然の模倣が自然の永遠の活力を彩る絶えず変わりゆく形や力を賛美し、それらが芸術の創造を通しのみ表現できることがブオタレンティによって表明された。そこでは景観の構成要素としての幾何学はフィレンツェを指し示す軸線のみになっている。つまりフィエゾレ、カステッロ、ペトライア、ペトリアーノのヴィラなどに見られるように一見全く様相の異なる庭園がルネサンス期からマニエリスム期にわたって散見されるが、それらは実はすべて自然に対して人間がどのようにふるまうかという葛藤の中で生まれてきたものであるのではないか。それは幾何学的であったり、彫刻的であったりと様々であるが、その場面に出会う瞬間やシークエンスはとても大事にされている。
 自然に対して人間がどうふるまうかという問題は現代の建築や都市においても語られる。主に都市において自然は植物に翻訳され、景観は建物のファサードになる。都市の風景は高層ビルのみが独占するが、フィレンツェのヴィラでみられるような空間のレイヤーがある風景ではなく、広がるのは等価な建築群の集合によってつくられる雑多な風景である。郊外は都市に比べて幾分自然に溢れているが無秩序である。その中の建築もそれぞれの土地の所有者がバラバラに建てるので、建築群も無秩序である。
 フィレンツェで議論された自然は隠された原理を持ち、永遠の活力を示す神秘的かつ学問的なものであった。それらの真理を明らかにしようと幾何学的に秩序化したり、彫刻や自動人形などで模倣したりすることで表現し、庭園として整えることで風景や庭園内のファンタジーを作り出していた。人間が歩き、シークエンシャルに自然と出会う瞬間を何よりも大切にしていたことが感じられる。自然に対してとても謙虚な姿勢であった。
 フィレンツェのまち全体としてのふるまいも自然に対して謙虚であったように思う。クーポラを中心とし、ある一定の範囲におおよそ同じ素材、規模で建てられたことは、離れた場所から見た時、風景の1要素として秩序だっていたのではないか。
 風景を構成する要素である山や谷、空、都市などスケールに対して謙虚であり、ヴィラから眺めるとき、アルノ川や山、空などの自然景観との調和がなされていたと推測している。
 現代の都市においても自然景観を機能だけでなく美的観念をもってその場所の風土的な特質を読み取り、表層だけの景観にこだわるのではなく、風景として空間を秩序立て、ある一定の離れた距離から町を眺める視点を大事にすべきではないだろうか。そうすることで無秩序に広がる都市の中で、身体に呼応する、自分のまちを所有する感覚を持つことができるのではないだろうか。

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