ここからの選択肢を考える前に、現在あげられる他者の意見をまとめえてみよう。
・まったく関係のないところにひょこっといってほしくない(os)
・自分のプロジェクトとして守っていくべき(t)
・研究好きそうだし、博士が向いているのでは(m,m)
・博士は実務を積んでからにすべき(t)
僕の進路を考える上で大事なのはogtでの活動にどのように関わるのか、やめるのかを考えることだろう。やめずに続ける場合にあげられる理由として2つある。
・漁師小屋のプロジェクトを続けるため
・これまでと同様に多様な復興活動に関わり続けるため(住宅や小中学校?)
漁師小屋のプロジェクトについては修士設計としてプレゼンは終わったが、現地でのプレゼンのためにさらに整えていく必要がある。先生からは以前、冊子にまとめるなどの意見もあった。それらから類推するに今後2,3ヶ月はやることがありそうだということ。しかし、復興の現場は変化が激しい。今はタイムリーで意味をもつ提案でもいずれは価値が薄れることはあるだろう。価値を保ち続けるためにはそれなりに上手くいく必要がある。つまり、行政側と住民側から手応えをつかむということだ。おそらく片方だけでは意味がないだろう。この難関がまずある。それはこの2,3ヶ月で分かるだろう。正直、自分の提案は非常に合理的だと思うが、行政がからんでいることもあり、実際に何かを変えることができるのかは自信がない。
では漁師小屋のプロジェクトが2,3ケ月経ったあとも続けられる場合とそうでない場合を考えてみよう。
まずポジティブに上手くいった場合(土地利用の提案についてを想定/プレハブに屋根をかける建築はおそらくプロジェクトとしては個人レベルだろう)。おそらくもう僕個人ではどうにもできず、先生たちの力を借りながら実行していくべきだろう。土地や事業の仕組みをよく勉強し、リアリティをあげていく必要がある。より本格的に現地の意見をひろってまとめあげていく。しかるべき場所にしかるべきプレゼンをしていく必要がある。
この場合、やはり大学などに属し、様々な先生との接点を保ち続けた方がよいだろう。どこか関係のないところに努めた場合、自由に動くことが難しくなるからだ。
大学に属することを考えたとき、現在選択肢としてあるのは博士課程か研究生である。大学はやはり芸大か東北大だろう。東北大の博士課程の願書受付はもう間近であるのでおそらく難しい。芸大は夏に入試で来年入学になる。どちらにしろ、動きづらい。そこで有力なのは研究生であり、締め切りは2月である。しかし、現在と同じ環境で良いのかという懸念はある。情報伝達が遅いことは前から悩んでいたことであるし、芸大は建築家の研究室であるから、そのような土地所有などの行政がらみは得意でないかもしれない。
次に少しネガティブだが、漁師小屋のプロジェクトが上手くいかなかった場合を考えてみる。芸大にしろ東北大にしろ、研究生は1年間であるから、半年は違うことをすることになる。東北大にいる場合は雑務に追われることが予測される。住宅建設に関われるかもしれないことのみ利点だが、それもどれだけ貴重な経験だろうか。芸大にいる場合、おそらく小中学校が通ればその手伝い。その他こちらも雑務であろう。もし上手くつづかないのであれば、無理に研究生になる必要はないのかもしれない。それこそアトリエほど忙しくない場所なら片手間でやることもあり得るだろう。
ogtのプロジェクトをやめる場合。その理由としてあげられるものもある。
・どこかのアトリエにつとめ、忙しい場合
・そもそもogtプロジェクトの将来的な展開と自分の将来的展望を考慮したとき、異なることをした方がよいと判断した場合
とりあえずアトリエにすぐ務めることは考えていないので後者で考える。
ogtのプロジェクトを3年続けたわけだが、実はそれほど志願して続けていたわけではない。言い方は悪いが成り行きともいえる。その証拠にそれまでの自分の建築の考え方とは全く異なることに取り組んでいる感覚が常にあった。人の動きなど建築が発生する仕組み、コンテクスチャリズムに興味があることは、今までのと自分の作品とogtの活動を見たときに一貫して感じられることではある。しかし、明確に異なるのはプロジェクトがリアルな人を想像しているかそうではないかにある。リアルに人を想像し、その人たちがどのように使うかなどを相手の懐に入り込みながらつくることは価値がある。特に集落のような人の活動が歴史をつくってきたところはそうだ。設計は人が使うモノや環境をつくりだすことであると思うが、その使う人の価値観によりそうことは、建築でなくとも大事なことである。
一方でその他の僕の作品は一見実現不可能にみえる。人や人がつかうものに深く焦点を当てて入るが、実際につかうこと、つくることを僕以外の人は想像しにくい。自分の思想が強く、ボールを遠くに飛ばすようなものだ。
僕は建築を作品としてつくることに違和感がある。どんなに説明にこじつけをしようがエゴが入ってしまうのが建築であると思うが、それを個性のように主張する感覚が作品という言い方には感じられるからだ。人のお金で人が使うもの、町の人がみる物をつくるわけなのだから。(いわゆるデザインが苦手であることの裏返しでもある)
だからできるだけ客観的に設計していくことが好きなわけなのだが、その取り組み方に2つの性質があることに気付いた。
その2つの性質は見ようによっては対極にあり、それが自分の中の違和感につながっていると思う。つまり、人に寄り沿い、ときには自分のデザイナーとしてのプライドを捨てながら本当に求められているものをつくる、環境をつくるようなスタンスと、すぐには実現できなかったり使えなかったりするけど、環境の変化の予測に基づいたものをつくるスタンスである。(自分で書いてて後者の説得力がないがAAの教育などを想像してほしい)。
わかりやすくいうと、研究者か町医者かということだ。研究者は様々な実験や分析のもと、将来的に可能となるような新しいものをつくりだす。一方で町医者はその都度目の前にいる人に求められる要求に応えなくてはいけない。
なぜそのようなことを考えるかというとこれから建築家としてどのように生きていくのかということに大きく影響するからだ。
町医者的な建築家の立場は今後必要とされるだろうし、建築家の職能の広げ方として可能性があるように思う。一方で提案としては近視眼的であり、悪くいうと革新的なことは生まれにくい。何十年と仕事をしたあとにどんなことを思うだろうか。
一方で研究者的な建築家のあり方は職業としては厳しいが、夢があり、正直好きなのはそっちだ。ただ、共感はすぐには得られないかもしれない。
どちらもやって行くのがベストだろうが、ogtのプロジェクトでは後者はあまり得られそうではない。
この場合、やはり大学などに属し、様々な先生との接点を保ち続けた方がよいだろう。どこか関係のないところに努めた場合、自由に動くことが難しくなるからだ。
大学に属することを考えたとき、現在選択肢としてあるのは博士課程か研究生である。大学はやはり芸大か東北大だろう。東北大の博士課程の願書受付はもう間近であるのでおそらく難しい。芸大は夏に入試で来年入学になる。どちらにしろ、動きづらい。そこで有力なのは研究生であり、締め切りは2月である。しかし、現在と同じ環境で良いのかという懸念はある。情報伝達が遅いことは前から悩んでいたことであるし、芸大は建築家の研究室であるから、そのような土地所有などの行政がらみは得意でないかもしれない。
次に少しネガティブだが、漁師小屋のプロジェクトが上手くいかなかった場合を考えてみる。芸大にしろ東北大にしろ、研究生は1年間であるから、半年は違うことをすることになる。東北大にいる場合は雑務に追われることが予測される。住宅建設に関われるかもしれないことのみ利点だが、それもどれだけ貴重な経験だろうか。芸大にいる場合、おそらく小中学校が通ればその手伝い。その他こちらも雑務であろう。もし上手くつづかないのであれば、無理に研究生になる必要はないのかもしれない。それこそアトリエほど忙しくない場所なら片手間でやることもあり得るだろう。
ogtのプロジェクトをやめる場合。その理由としてあげられるものもある。
・どこかのアトリエにつとめ、忙しい場合
・そもそもogtプロジェクトの将来的な展開と自分の将来的展望を考慮したとき、異なることをした方がよいと判断した場合
とりあえずアトリエにすぐ務めることは考えていないので後者で考える。
ogtのプロジェクトを3年続けたわけだが、実はそれほど志願して続けていたわけではない。言い方は悪いが成り行きともいえる。その証拠にそれまでの自分の建築の考え方とは全く異なることに取り組んでいる感覚が常にあった。人の動きなど建築が発生する仕組み、コンテクスチャリズムに興味があることは、今までのと自分の作品とogtの活動を見たときに一貫して感じられることではある。しかし、明確に異なるのはプロジェクトがリアルな人を想像しているかそうではないかにある。リアルに人を想像し、その人たちがどのように使うかなどを相手の懐に入り込みながらつくることは価値がある。特に集落のような人の活動が歴史をつくってきたところはそうだ。設計は人が使うモノや環境をつくりだすことであると思うが、その使う人の価値観によりそうことは、建築でなくとも大事なことである。
一方でその他の僕の作品は一見実現不可能にみえる。人や人がつかうものに深く焦点を当てて入るが、実際につかうこと、つくることを僕以外の人は想像しにくい。自分の思想が強く、ボールを遠くに飛ばすようなものだ。
僕は建築を作品としてつくることに違和感がある。どんなに説明にこじつけをしようがエゴが入ってしまうのが建築であると思うが、それを個性のように主張する感覚が作品という言い方には感じられるからだ。人のお金で人が使うもの、町の人がみる物をつくるわけなのだから。(いわゆるデザインが苦手であることの裏返しでもある)
だからできるだけ客観的に設計していくことが好きなわけなのだが、その取り組み方に2つの性質があることに気付いた。
その2つの性質は見ようによっては対極にあり、それが自分の中の違和感につながっていると思う。つまり、人に寄り沿い、ときには自分のデザイナーとしてのプライドを捨てながら本当に求められているものをつくる、環境をつくるようなスタンスと、すぐには実現できなかったり使えなかったりするけど、環境の変化の予測に基づいたものをつくるスタンスである。(自分で書いてて後者の説得力がないがAAの教育などを想像してほしい)。
わかりやすくいうと、研究者か町医者かということだ。研究者は様々な実験や分析のもと、将来的に可能となるような新しいものをつくりだす。一方で町医者はその都度目の前にいる人に求められる要求に応えなくてはいけない。
なぜそのようなことを考えるかというとこれから建築家としてどのように生きていくのかということに大きく影響するからだ。
町医者的な建築家の立場は今後必要とされるだろうし、建築家の職能の広げ方として可能性があるように思う。一方で提案としては近視眼的であり、悪くいうと革新的なことは生まれにくい。何十年と仕事をしたあとにどんなことを思うだろうか。
一方で研究者的な建築家のあり方は職業としては厳しいが、夢があり、正直好きなのはそっちだ。ただ、共感はすぐには得られないかもしれない。
どちらもやって行くのがベストだろうが、ogtのプロジェクトでは後者はあまり得られそうではない。
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