2014年4月26日土曜日

セルフマネジメント

建築設計に時間がかかると知ってから、できるだけ時間をかけようと心がけてきた。時間をかけた分良いものになる可能性が高くなるからだ。

しかしその一方で様々な時間を犠牲にした。そして自由な時間も「今できていないやりたいこと」に取り組み、自分をいたわることを怠っていた。

長く作業することを良いことだと思っていたが、自分の体調や気持ちをいたわって初めて身体と精神のバランスが保たれるし、それも含めたストイックさが必要だと感じた。

修士に入ってからより精神的に負荷のかかる仕事が増え、それらが終わるころには驚くほど疲れている自分がいることに気がついた。そしてそこから通常の状態に戻るまでの時間は、その疲労の蓄積の大きさに比例するように長く、そして難しくなっていくことに気がついた。

作業の量を落とそうと思っているのではない。当たり前のことだがメリハリをつけ、目標を定めて淡々と、ある意味無感情に取り組むのが大事でその時間に実は癒されているの自分がいる。ずっとすべてを悩んでいると疲れるのは当たり前だ。

今日、保身か挑戦かという話を美容師としたのだが(笑)、最近はどの業界も保身が多くなっているという話になった。確かに日本は不景気だし、以前よりも保身的になるのは仕方ない。でもそんなの馬鹿らしいから自分は挑戦しようと思い、がむしゃらに目の前のことに取り組んで来た。しかし、実は保身と挑戦は明確に分けられるものではなく、それも適度にバランスを保ちながら行なうべきことだと実感した。

例えば進路が決まっていれば、普段の悩み事は1つ減るので今の挑戦により集中できる。また、挑戦し続けているようでじつは新しい道へ可能性を自ら閉ざしている場合もあり、適度に立ち止まることも重要だ。


ここまで当たり前のこと書いている。知ってはいたが実感して初めて人ごとではなく、自分にも当てはまることだと気付いたのか。


保身か挑戦か。そのような議論ではなく、将来どうなりたいか、それにはどうすればいいかを具体的に数年ごとにさだめ、それに向かって準備し、日々はそのために生きればいい。こなせたら遊べばいい。道筋はおそらく当初考えていたものから変わっていくだろうが、目標を見失わなければ大丈夫なはずだ。


だから自分が今本当に考えるべきは、時代の流れを良く知り、先見性をもった具体的な目標を定めることである。具体的にどのような立場でどのような組織を自分の周りに付けていったらできるのか。そしてその具体的な目標は今の未熟な状態で考えるのだから誤っているのかもしれないが、自信をもって突き進むのみか。

2014年4月17日木曜日

6年間の残像

学部2年生の後期から建築設計の課題が始まり、そこから修士2年の卒業までほとんどそれに費やした。
夢中になって取り組んだ根底にあったものはなんだろう。そして何が残っているのだろう。

建築をつくることは難しい。ただ壁を建てるだけではない。ただ使い方を考えてつくれば言い訳でもない。相手の要望に応えてその場の誰もが納得してつくられたとしても良い建築になるとは限らない。

現実世界につくり出せるものはただの物体であり、そこから建築や空間といったものの議論への接続はとてもデリケートであるらしい。

自分が建造物ではなく建築と呼ぶものはどんなものかと考えると建築的思考の積み重ねが感じられるもの、でもそれは形体という表層的情報から感じられるものであることがしばしばである。その表層的な情報の判断は多種多様で、もしかしたら過去に見た映画の雰囲気の良い場所ににているといった世俗的な判断によるものであるときもあるかもしれない。雰囲気の良い場所は流行的な思想に乗っているものかそれともそこにいる人たちが生き生きとした活動(活発に行動し、発言している状態)を目撃したときか。でも流行は変わっていくし、人々もそこにいたくているわけではないかもしれない。無理に笑顔をつくっているかもしれない。

建築がどこまで背負ったとき建築となるのか。
建築は箱でしかないのは確かだ。ではどんな箱をつくるか、そしてそれはどんな可能性を引き出そうとしているか、それをしつこく考えるのが建築的思想であり建築家の役目ではないか。

しかし社会においてそのような可能性をデザインすることは難しい。方法と結果がイコールで結ばれるような合理的な手続きとして様々な判断が行われ、建築的思想の入り込む余地は少ない。でもそれはモノにゆだね、考えること、進化することを放棄した人間という生物の終末を予感させるものではないだろうか。それはハリウッド映画で描かれる科学の発展が人類を滅ぼす的な壮大なものではない。


一方で建築的思想はすぐに結果を出せない。実際にはリミットがあり、デザインはリミットが決めるという考え方もある。

少なくとも学生の課題ではそのような社会的要求に対する応答は課せられないので、建築的思想が育みやすい。一方で曖昧な課題で設計が分からないと放棄することや、形体を安易に提出すること、社会的要求に対して中2病のような妄想で提案することには吐き気がする。

もう1つ難しい点が建築家は他人のものをつくるということだ。サービス業だと考えれば、お金を払ってくれた施主の言うことを何でも聞くのが普通だと一般的には考えられるだろう。マッサージ師が腰が痛い人のために肩をマッサージすることがあるだろうか。

大事なことは施主の要望の背景を読み取り、ある一般化や普遍化といった作業に到達することで様々な可能性を引き出せることなのかもしれない。それは建築的思想の本望である。

建築的思想によって可能性を引き出すことは樹形図をかくことに似ている。単純に済まされがちな手続きによる微細な環境の変化が何をもたらすか可能な限り妄想する。

この妄想劇における建築家の最大の武器がスタディである。人間の頭をコンピューターだとしたら人によってCPUやGPUは異なるがある限界値はあるだろう。つまり、物体をある分子の集合体だとしてみたとき、その分子1つ1つは何が良いか、そしてそれらの組み合わせはどれがよいかなど、詳細にみればきりがない。しかし、スタディというあるパターン化された状態をつくることでそのような手続きをすっ飛ばして、重要だと思われる箇所について熟考できる。一方でこのスタディの手法は現実に立ち上がった建築とのギャップを完全に埋めるものではなく、スタディで無意識に捨象される因子への配慮を忘れてはいけない。

それでもできるだけ細かく考えることは可能で、それだけ時間がかかるし、モノがなかなか生まれない。また、建築は所詮「箱」であるから中身に支配され、箱はもしかしたら捨てられるかもしれない。だから相思相愛とはいかず、いつまでも告白できない中2男子のようだ。

いらっとしてしまうのはそのように必ずこうなると断言できない物事に対して、断言してしまう建築家だ。それは成功率10%なのに対して絶対に成功するといっているようなものだ。

つくらないとか、わからないというのがいつでも誰でも本音だろうが、そこを議論の対象にするのではなく、何をするのが最良かという議論をするのが建築的思想だ。そういった意味で、自分はいつも自信がなかったけど、自信があったのだと思う。


一昔前の建築雑誌を見たり、昔の学生の卒業制作をみると驚くほど、表現がシンプルである。一方で現代は様々な技法により、多種多様な表現が可能となり、広告化している風潮がある。特に学生はリアルな建築をつくれないから、妄想イメージをどのように表現するかに腐心したりする。表現は大事だが、建築をドライにみる視点を忘れてはいけない。広告として目立つこと、絵として美しいことはどれほど重要か。それが実際の建築の素材に置き換わり、そこら辺にいるおばさんやおじさんが現れたとき、期待したように演技してくれるだろうか。そのようなものに騙される建築家はバカだとしかいいようがない。



結局、6 年間やって何が良い建築かわからない。しかし、最良の可能性を残すための手続きの勉強や先人の取り組みを少し知れた気がする。それはやはり課題で自分が壁にぶちあたったときに、手を差し伸べるように現れることが多かった。結論、動いた先に成長が待っているということだろうか。


これからは直感を大事にしていくことを大事にしようと思う。それは自分を知ることと洗練される気がする。もっと自分のことを考えよう。





2014年4月2日水曜日

2014年度の進路がダブルブッキングしている。

大学の研究生とAAインターンである。先生達はAAインターンに自分がいくものと考えているが、自分は踏ん切りがついていない。一方で研究生というのも居心地が良くない。なんでこうなったかはうんざりするので思い出さず、今はどっちが良いのかしっかりと考えたい。


修士設計終了時は色々と盛り上がりプロジェクトを続けることになっていたが、現地での雲行きが怪しくなり、状況も変わって来たことから微妙な立場となっている。

自分は正直どっちでも良いと考えているのだが、一方でいつも周りに流されてばかりなので自分の意志でしっかり決断しなくてはいけないとも思っている。

修士設計の続きを具体的に進められないと分かった今、研究生で残る道はやや消極的。一方で震災後3年間、ほぼ脇目もふらず取り組んで来たので、一度立ち止まって進路を考えても良い気がする。

そもそもこの2年間ogtのプロジェクトに対してぶーぶーいってきた理由は分かっている。1つは今までのややアートよりのプロジェクトに対して、やや地味で面白みに欠ける点。正直あまりかっこいいプロジェクトだと思えない。でも今後の建築家の在り方を探るにはとても意味のあるプロジェクトだとは感じる。またこの道はもしかしたら建築家ではなく別の道につながっていく可能性もはらんでいると僕は思う。

2つ目は環境。先生の思想は自分とはいくつかの点で相容れないものがある。組織の中での自分の立場も情報が来ず、パシリであったことに不満があった。パシリは考える権利を与えられない。当初は壮大な夢を抱えていた組織も、次第に複雑化する現場では結局建築の範疇でしか口がだせず落ち着き気味。修士設計で皮肉ったつもりが一学生の矢は現地の制度や仕組みといったものに届かず失墜した。

3つ目は自分の立場の特殊性。学部3年生から建築の勉強が本格的に始まったが、m2までの4年間のうち、3年間被災地プロジェクトをやっている。周りのみんなは就職だとか、留学だとか、自分のために着実なルートを歩むというのに、自分は慈善活動しかしていない。正直生理的にアトリエにはいけないと思っていたので、就職もしたかったし、留学ももちろんしたかった。就活をしなかったのは自分への甘えで、この慈善活動期間は無かったことにしたいと思っていたからだ笑。だから後できっちり自分のために勉強して就職しようと思っていた。実際色々と厳しかったのだが。そして昨日所属が決まらないまま、今年度を迎えた。

こんなに文句があるのになぜやめることを即答しないのか。それはそれなりにAAインターンのメリットをみているからだ。まず前述した2つ目の環境が改善される。やるからにはよくプロジェクトを知った上で動きたいし、東京の環境は年々モチベーションが下がっているようだ。また今後ドクターにいくことを見据えたとき、現地で深く携わることでドクター論文のテーマが見つけやすいかもしれないし、何かプロジェクトの主導権を握っていくことができる。実務経験も積めるかもしれない。そして仙台は住みなれた街であるから、休日の気分転換もしやすいかもしれない。一方で向うに行っても友達の多くは卒業して仙台を離れているので1人かもしれないが。

半期後にドクターを受けようと思っているが、つなぎとしてはインターンで過ごすほうが良い気がするが、一方で建築士と英語の試験のために勉強時間も必要だ。試験はそれほど先ではないから、集中して試験まで勉強するのも良いのではないかと感じる。

研究生で時間が空いたとして、自分の進路に何か変わりはあるだろうか。具体的に時間ができたとしてどのように動こうか。すでに建築系の正統な就職は厳しいので、あまり選択肢はない。留学したいという願望もドクターが一番実現可能性が高い。自分の性格、作品や取り組みを見たとき、大学が合っているのではないかとも感じる。

どこの大学を目指すのかが今一番の問題なのかもしれない。それによって今年どこにいくべきかが変わる。震災系の取り組みは今後30年でみたとき、どのような立ち位置だろうか。建築家には被災地への取り組みに否定的な人も大勢いる。またアーキエイド自体の動き方も雲行きが怪しい。領域横断的にふるまい、ときには建築をつくらないことも許容した活動。これらは今後の建築家の在り方として可能性があると感じる。意匠設計志願の大半の若者が組織設計またはアトリエにいく中で、それらの潮流にのることは人と違うことが出来るのかもしれない。被災地復興に関われるのも今だけだと考えると、外からみたら関わり続けるべきというところだろう。もし少し消極的になるとしたら最初に述べた違和感に従うことになる。今自分が懸念すべきは、そのようなアート系のプロジェクトと、留学の2点か。どのようにそれらを被災地プロジェクトとつなげていくか。それらを両立した人材は面白そうだと感じる。留学は大学の留学制度に従うのが良いだろう。アート系の取り組みは独自に勉強し自分の中で被災地プロジェクトと融合していくか。

もう1つ、活動の拠点も懸念事項だ。ドクターが東北大であれば仙台が拠点になっていくだろうか。いま被災地プロジェクトをしに東京を離れるとしばらく戻ってこない気がする。東北大のドクターであればいろいろと両立できそうだが、いろいろ問題が...