2014年4月2日水曜日

2014年度の進路がダブルブッキングしている。

大学の研究生とAAインターンである。先生達はAAインターンに自分がいくものと考えているが、自分は踏ん切りがついていない。一方で研究生というのも居心地が良くない。なんでこうなったかはうんざりするので思い出さず、今はどっちが良いのかしっかりと考えたい。


修士設計終了時は色々と盛り上がりプロジェクトを続けることになっていたが、現地での雲行きが怪しくなり、状況も変わって来たことから微妙な立場となっている。

自分は正直どっちでも良いと考えているのだが、一方でいつも周りに流されてばかりなので自分の意志でしっかり決断しなくてはいけないとも思っている。

修士設計の続きを具体的に進められないと分かった今、研究生で残る道はやや消極的。一方で震災後3年間、ほぼ脇目もふらず取り組んで来たので、一度立ち止まって進路を考えても良い気がする。

そもそもこの2年間ogtのプロジェクトに対してぶーぶーいってきた理由は分かっている。1つは今までのややアートよりのプロジェクトに対して、やや地味で面白みに欠ける点。正直あまりかっこいいプロジェクトだと思えない。でも今後の建築家の在り方を探るにはとても意味のあるプロジェクトだとは感じる。またこの道はもしかしたら建築家ではなく別の道につながっていく可能性もはらんでいると僕は思う。

2つ目は環境。先生の思想は自分とはいくつかの点で相容れないものがある。組織の中での自分の立場も情報が来ず、パシリであったことに不満があった。パシリは考える権利を与えられない。当初は壮大な夢を抱えていた組織も、次第に複雑化する現場では結局建築の範疇でしか口がだせず落ち着き気味。修士設計で皮肉ったつもりが一学生の矢は現地の制度や仕組みといったものに届かず失墜した。

3つ目は自分の立場の特殊性。学部3年生から建築の勉強が本格的に始まったが、m2までの4年間のうち、3年間被災地プロジェクトをやっている。周りのみんなは就職だとか、留学だとか、自分のために着実なルートを歩むというのに、自分は慈善活動しかしていない。正直生理的にアトリエにはいけないと思っていたので、就職もしたかったし、留学ももちろんしたかった。就活をしなかったのは自分への甘えで、この慈善活動期間は無かったことにしたいと思っていたからだ笑。だから後できっちり自分のために勉強して就職しようと思っていた。実際色々と厳しかったのだが。そして昨日所属が決まらないまま、今年度を迎えた。

こんなに文句があるのになぜやめることを即答しないのか。それはそれなりにAAインターンのメリットをみているからだ。まず前述した2つ目の環境が改善される。やるからにはよくプロジェクトを知った上で動きたいし、東京の環境は年々モチベーションが下がっているようだ。また今後ドクターにいくことを見据えたとき、現地で深く携わることでドクター論文のテーマが見つけやすいかもしれないし、何かプロジェクトの主導権を握っていくことができる。実務経験も積めるかもしれない。そして仙台は住みなれた街であるから、休日の気分転換もしやすいかもしれない。一方で向うに行っても友達の多くは卒業して仙台を離れているので1人かもしれないが。

半期後にドクターを受けようと思っているが、つなぎとしてはインターンで過ごすほうが良い気がするが、一方で建築士と英語の試験のために勉強時間も必要だ。試験はそれほど先ではないから、集中して試験まで勉強するのも良いのではないかと感じる。

研究生で時間が空いたとして、自分の進路に何か変わりはあるだろうか。具体的に時間ができたとしてどのように動こうか。すでに建築系の正統な就職は厳しいので、あまり選択肢はない。留学したいという願望もドクターが一番実現可能性が高い。自分の性格、作品や取り組みを見たとき、大学が合っているのではないかとも感じる。

どこの大学を目指すのかが今一番の問題なのかもしれない。それによって今年どこにいくべきかが変わる。震災系の取り組みは今後30年でみたとき、どのような立ち位置だろうか。建築家には被災地への取り組みに否定的な人も大勢いる。またアーキエイド自体の動き方も雲行きが怪しい。領域横断的にふるまい、ときには建築をつくらないことも許容した活動。これらは今後の建築家の在り方として可能性があると感じる。意匠設計志願の大半の若者が組織設計またはアトリエにいく中で、それらの潮流にのることは人と違うことが出来るのかもしれない。被災地復興に関われるのも今だけだと考えると、外からみたら関わり続けるべきというところだろう。もし少し消極的になるとしたら最初に述べた違和感に従うことになる。今自分が懸念すべきは、そのようなアート系のプロジェクトと、留学の2点か。どのようにそれらを被災地プロジェクトとつなげていくか。それらを両立した人材は面白そうだと感じる。留学は大学の留学制度に従うのが良いだろう。アート系の取り組みは独自に勉強し自分の中で被災地プロジェクトと融合していくか。

もう1つ、活動の拠点も懸念事項だ。ドクターが東北大であれば仙台が拠点になっていくだろうか。いま被災地プロジェクトをしに東京を離れるとしばらく戻ってこない気がする。東北大のドクターであればいろいろと両立できそうだが、いろいろ問題が...






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