2012年7月10日火曜日

ルネサンス建築と現代の建築について

建築はその時代の背景や前の時代の流れに大きく影響を受ける。ルネサンス建築期はそういった意味で様々な変革や新しいものが生まれた。

ゴシック期まで建築は修道院や聖堂建築がほとんどであったがパラッツォやヴィッラと呼ばれる邸宅に代表されるように俗の世界に建築が降りてきた。

1348年ペストの大流行によって人工の2/3のがなくなったフィレンツェでは都市のために団結する共通意識が生まれ、裕福な商人が都市に対して投資をしたという考え方があるが実際は商人が生前にキリスト教をおかした免罪符として投資していたという事実もあるらしい。ともかく豊富な資金がそこにはあり、経済発展していたのだ。

もう1つはイタリアの周辺国を中心に発展した全く新しい様式であるゴシック様式、イタリア内で変革を求めながらも当時の風潮として新しいものは望ましくないとされていたこともルネサンス誕生を促した。フライングバットレスのような内部の開放的な空間をつくるために外に力を流し、それを形態としてみせたゴシックがオーダーなどの単純な構造要素と比べて邪道にみえたのか。ともかく、建物の本質、建物が芸術であった古代ギリシャ、ローマへの回帰はなんとなく分かる。

そのような背景からルネサンス建築はつくられていく。
そしてルネサンス期の一番大きな変革を僕は建築家の誕生だと考えている。それまでは石工親方でしかなかったが、ブルネレスキ、ミケロッツォ、アルベルティらによって建築家という立場が確立されていく。

まずブルネレスキは金銀細工師として修行を積んだあと、フィレンツェのクーポラの設計において建設法、建築機械の考案、そして建設現場の組織化を図る。建設のタクトをより俯瞰した位置からとり始めた。

ミケロッツォは生涯で100以上の建築に関わる。彼は彫刻師として活躍したあと、自らの手でじっくりと自分が組織した職人達を育成した。それによって彼は建設工事の幅広い監理を避けて、建築の設計者として数多くの仕事をこなそうとする姿勢を保ち続けることができた。図面や模型、あるいは簡単な指示だけで自分の意のままに動かすことのできる建設工房を組織していたのである。工務店のボスみたいな感じである。

そしてアルベルティはルネサンス期の万能人であり、彼の数々の理論にて後世に大きな影響を残した。「建築論」には理想の建築家像が明記された。

「賞賛すべき確かな理論的方法と手順とで、知的に精神的に決定し、作品を実施し、いかなるものであれ、重量の移行と物体の結合、組織を通じて、それを人間の最も権威のある用途に見事に献げることを心得た人」


ルネサンス期はこのように現代でいわれる「建築家」が誕生した時代であった。
また、建築において議論される内容もかなり現代に近くなる。

フィレンツェの大聖堂の大ドームをつくったブルネレスキは古典的な言語の再生、オーダーと比例原理に基づく様式だけでなく、それまでの歴史(ビザンティンの科学技術)などを統合して生み出した。つまり単純な様式史で語ることのできる範囲を超え、自らの構想を実現するためにその目的に応じて選択していたのである。この変化の背景には建築がより都市や俗世界に近づいたことも影響していると考察する。サント・スピリト協会でも正方形を単位とした単純な幾何学構成によって平面が支配されるとともに、一定間隔に配された柱の規則性によって透視図法の効果が増幅されている。

ヴィッラにおいても幾何学的整合性が重要視され、ときには偽りのファサードさえも用意する。

古いものへの回帰といえばポストモダンが思い浮かぶ。近代建築によって切り捨てられた「歴史性」「装飾」「地域性」などが復権を遂げた。チャールズ・ジェンクスは「ポストモダンの建築言語」で近代建築の死を宣告した。死因は機能主義の一元的システム、そのハイカルチャー性、つまり形骸化・制度化してしまった近代建築のコミュニケーション不全、あるいは断絶にあったとの批判的分析をした。

ポストモダンはについては、「ハイブリッド」「二重コード化」「多様性」が特徴で。「歴史主義」「直進的復古主義」「ネオ・バナキュラー」「コンテクスチャリズム」「折衷主義」「アーバニスト・アドホック」などのデザイン特質があるとした。

ルネッサンスは徐々に古典的な言語が政治的理由によって使われはじめ、古典的言語を装飾的に力の象徴として利用していった点で、本来の意味を忘れて反復されたポストモダンと似たような点があるように思うが、ブルネレスキが、ロマネスク建築のように古典的言語を単に利用しただけでなく、ローマ建築の構造を研究し、これに数学的比例を組み合わせ、学術的なアプローチをとったように、模倣者ではなく、知的・文化的価値の創造者としてルネサンス建築をつくった点は古き良き時代への回帰だけでなく、ゴシック末期の過渡な装飾、中世的都市空間に対する批評を人体の比例に基づくといわれるオーダーを用いてより幾何学的に数学的美しさを体現することで示していた。


このことは単純な美しさの追求から政治的権力の象徴としての目的の変化が「古典の模倣=ルネサンス」という誤解を一般化させてしまったことを意味している。


建築学として理想が示された、知的・文化的アプローチから建築が考えられたという点で建築家の誕生、建築論の誕生を指摘することができる。建築と権力は密接に関係していてヒトラーとシュペーアもそうである。政治性や経済性がからむと安直な装飾論に陥ることはよくある。

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