2012年7月15日日曜日

建築と装飾

重複が多いかもしれないが、装飾や様式について項目をあげて考えてみる。










・装飾とは(芸術か)

装飾とは建築のそとつらであり、建築のイメージとして語られる。それは二次元のイメージであり、三次元的な空間とは断絶しているようにも感じる。モノをおあつらえむきに着飾らせることが現在の僕の装飾の解釈である。建築はその空間の快適さ、利用しやすさなどで評価されることもあり、その軸には装飾はなかなか乗ってきづらい。



・装飾の対象

装飾の対象とは装飾になんらかのメッセージを込め、それを建築の表層にもちいることとする。何を持ってメッセージとするかは難しいところだが、ギリシア、ローマを美的規範からの装飾、外観であるとすると最初にメッセージが込められたのは、ロマネスク建築のバシリカ式が変容した多層で双塔を備えた西側のファサードを持つ教会堂が挙げられる。多層で双塔を持つことで象徴性を有したように思う。ただそれほど装飾的なファサードではない。だとすると装飾でメッセージ性をこめた明確な始まりはゴシック建築だろう。都市の中にたち、一般民衆を対象としたゴシックの大聖堂は、光を取り入れるため構造的合理性から生まれた線状要素を視覚的に造形し、開口部にはステンドグラス、西正面には大規模な彫刻やバラ窓で飾られ、双塔を備えた。建物の外観を見ただけでどんな建物か分かるほどの装飾性をもつ大聖堂は明らかに都市の一般民衆に向けた意図をもつものであった。ルネサンス建築から派生したマニエリスム建築は前者を美的規範にのっとったものとすると、古典古代の典範から恣意的に逸脱し、宮廷などのパトロンを喜ばす、対象を持ったものになったのではないか。ルネサンス建築においてもヨーロッパ各地に移植されたものは古典古代の再生という目標をもたない、より装飾の根拠をもたないものになったといえる。バロック建築はカトリック教会の民衆に対する説教とプロバガンダを目的としたものであり、明確な対象をもつ。折衷主義は様式を選択するというものであり、それぞれの意図に対して装飾として様式が選ばれる点で対象をもつ。
日本でも銀行は古典主義(ギリシア、ルネサンす)で大学はゴシックが多い。教会もゴシック教会であり、お化け屋敷もゴシックの住宅である。
ラスベガスに見られる装飾が外観に明確にみられる、またはサインが装飾的になるといったものも客という明確な対象がある装飾である。
総じて見ると、不特定多数の人々を対象とする装飾は宗教的な意味合いか経済的な意味合いが強いように思われる。




・装飾と年代

装飾はその建築がいつどこで建てられたか判断する基準となる。テストで建築の名前をあてる問題の場合、まずその建築の様式の特徴がどの様式にあてはまるか考える。だから建物名が分からなくてもある程度説明できたりする(笑)。これは西洋建築のみならず、日本建築においても同様で寝殿造りなのか書院造りなのかっていうのはパッとみれば分かる。



・様式と宗教上の理由


 宗教と様式は密接につながっている。313年にキリスト教が公認されて以来、その社会における宗教のありかたや宗教の意図によって建築は変容していく。
 初期キリスト教建築は外観を質素にふるまい、空間性で宗教性を演出する、バシリカ式や集中堂式が採用された。バシリカ式はキリスト教の宗教儀礼は一般信徒と司祭が参加する集会的形態であったので、宗教空間としては有効に機能したと推察されている。バシリカはキリスト教の儀礼空間としての必要性から採用されたというよりも、むしろ建設が容易で比較的自由に大きさを決めることができ、装飾によって神聖な空間を得やすく、儀礼空間として融通が利くという実際的な理由から大量生産されたと考えられている
 つづく東ローマのビザンティン建築は宗教空間としてより象徴性の高いドームを取り入れた。
 ロマネスク建築ではバシリカ式が変容し、多層で双塔を備えた複雑な構成の西構え、内陣下の地下祭室-クリュプタなどがみられる。西を正面にするやり方は初期のロマネスク様式からでカロリング朝フランク王国(現在のフランス)から始まっており、国王の席を西構えと呼ばれるツインタワー棟の2階に置き午後の礼拝で西日を背にして国王に後光が差しているように見える演出から始まったようだ。また、ロマネスクの教会は巡礼教会堂が注目され、身廊は横断アーチ付き、トンネル・ヴォールトで覆われ、交差ヴォールトのかかった側廊の上には1/4トンネルヴォールトの架かったトリビューン(二階廊)が乗り、内部立面は二層構成となる。聖遺物信仰や巡礼が盛んになって大量に訪れるようになった信者が、自由に堂内を巡り歩ける形式である。
 ゴシック建築は都市の中に建ち、様々なメッセージを発する大規模な彫刻やバラ窓で飾られた西正面、神の高みと神は光であるという教えを圧倒的な高さを誇る垂直性やステンドグラスによって達成する。ゴシック建築は、尖ったアーチ(尖頭アーチ)、飛び梁(フライング・バットレス)、リブ・ヴォールトなどの工学的要素がよく知られており、これらは19世紀のゴシック・リヴァイヴァルにおいて過大に評価されたため、あたかもそのような建築の技術的特徴のみがゴシック建築を定義づけると考えられがちである。しかし、ゴシック建築の本質は、これらのモティーフを含めた全体の美的効果のほうが重要で、ロマネスク建築が部分と部分の組み合わせで構成され、各部がはっきりと分されているのに対し、ゴシック建築では全体が一定のリズムで秩序づけられている。ゴシック建築の達成は、中世スコラ哲学の理念、つまり神を中心とした秩序を反映したことにあると言える。中世の人々にとっては事物の全てに象徴的な意味があり、故に、ゴシック教会を彩る様々な装飾は、聖職者たちの世界に対する理解そのものであった。彼らは、美を神の創造と同義であると考え、教会を装飾することを神への奉仕と捉えていた。従って、扉口のマリア像や聖ペテロ像、聖ニコラウス像、ステンドグラスに画かれたキリストの生涯といったものは、決して現代人の意味するところの「装飾」などではなく、石に刻まれた中世精神の表象なのである。
 一般にゴシック芸術と呼ばれているものに一貫して用いられる形態的、図像学的な特徴はなく、実際にはゴシックとは、芸術史家たちによって慣習的に使用される概念である。今日においても、ゴシック建築の定義づけが行われているが、その議論は多角的かつ複雑である。
客観的な、最も馴染み深い特徴は内部的な高さと細さの誇張であり、簡単に述べると、必要以上に細い柱、石造天井、およびそれらを為し得る構造的特徴の組み合わせとなる。具体的に述べれば交差リブヴォールトとヴォールトの横への応力を支持するための側壁または控壁(バットレス)だが、これらはそれぞれ東方に起原を持っている。尖頭アーチはササン朝ペルシャ帝国において既に用いられているし、控壁はビザンティン建築においても見られる主要構造である。実際、ゴシック建築に特有とされる特徴は、ほとんどの場合、ゴシック建築において独自に発明されたものではない。ゴシック建築において重要なのは、これら技術的特徴ではなく、それぞれを組み合わせた独自の美的感覚や空間性にあると言えよう。





・装飾と宗教

キリスト教が公認されて最初の建築様式である初期キリスト教建築は外観は質素、内部の空間構成もシンプルであった。バシリカ式はナルテクス(玄関廊)からアプシス(司祭席のついた半円形の突出部)までの直線的な空間の連続、集中堂式はドームの頂点へと向かう急進的な上昇感が特徴的であり、空間性によって宗教性を演出している。その後ロマネスク、ビザンティン、ゴシックにいたるまで空間性によって宗教性が演出されている。バロック建築はカトリック教会が禁欲的なプロテスタントに対抗して過剰なまでの装飾によって、人々を圧倒するような場をつくろうとした。しかし装飾によって熱血的な空間をつくってだけで、直接的なモチーフをもったわけではなく、偶像やキリストの像が建築にくっつくことはなかったようだ。

・様式の使い方

様式の用いられ方には2種類あると考えている。1つは古典建築を引用するものであり、もう1つはギリシア建築に建築の原型をみるロージエの理論から展開される理知主義的な古典建築の合理的な解釈である。前者はギリシアに対するローマ、ローマに対するロマネスク、ギリシアに対するグリーク・リヴァイヴァル、ゴシックにたいするゴシック・リヴァイヴァル、ルネサンスに対するマニエリスムなどがそうである。後者はギリシア、ローマに対するルネサンス、新古典主義などがそうではないだろうか。前者はさらに2つに分かれ、憧れを持って引用されるものと単なる選択肢として引用されるものがある。
理知主義的な古典建築の解釈はルネサンス時代に建築家を生み出したように、建築論として何が美しいのか、建築とは何かという純粋に本質にせまるものである。
憧れをもって引用されるとき、リヴァイヴァルやロマネスクのように、研究や合理的な解釈が伴うことが多い.グリーク、ゴシックともにその構造の明確性、合理性から引用された。一方でギリシアに対するローマや、ルネサンスに対するマニエリスムのように手法として単に引用されると非合理な装飾になってしまう。


・装飾の排除

「装飾と罪悪」でアドルフロースは装飾を批判し、装飾を排除していく方向性が打ち出される。どんな装飾が嫌われるかは時代と人によって異なる。ルネサンスは古典古代を継承するがゆえに中世の伝統との断絶としてゴシックを攻撃した。当時新しいものを悪として捉える傾向のあったイタリアは革新の欲望を古典古代の再生に向かわした。それが本質であったとするとゴシックの批判はただのひがみかもしれない。その点ブルネレスキは純粋な古代の再生ではなく、自らの構想を実現するためにその目的に応じて手法をしていたし、ドームはそもそもビザンティンの技術の影響があったと言われている。
グリーク・リヴァイヴァルでは古代ローマからルネサンスまで装飾的な要素として用いられたオーダーのあり方を否定し、オーダーは構造体であるのが本質であるとした。
また、近代だとモダニズムは装飾を否定した。


・装飾と表面
・装飾と技術


0 件のコメント:

コメントを投稿