2012年7月17日火曜日

ヴィッラ

ルネサンス期のヴィッラ・フィエゾレとマニエリスム期のヴィッラ・カステッロ、ヴィラ・ペトライア、ヴィッラ・プラトリーノ、ヴィッラ・ガンベライア、ヴィッラ・ポッジョ・ア・カイアーノ、ヴィッラ・アルティミーノ、ヴィッラ・イ・タッティを授業でやった。

ようは金持ちの別荘で金があまりあるメディチ家って人たちが思想家や建築家につくらして、色んな意図が組み込まれてるから貴重らしい。

そのお金持ちたちは都市の中にパラッツォていう住宅も持っていてヴィッラは週末過ごす別荘らしい。距離的には馬でいける5kmくらいのところの山地の斜面に建てるらしい。

ヴィッラ自体は、都市が周辺部への支配力を増し、田園を防御する必要がなくなった時であるらしい。ローマ時代の帝政期とルネサンス期15世紀以降。その間の中世はヴィラでなくて、カステッロ(居城)とボデーレ(農場)らしい。ヴィッラ・フィエゾレは急峻な斜面に建っているがこれはボデーレでは絶対にない。ヴィッラの位置は社会的、視覚的、気候的要因によって決定されていた。

ヴィッラからは基本フィレンツェのクーポラがみえる。しかし、必ずしもクーポラに向かう軸線に沿って建てられるのではなく、地形に沿って建てたうえで、クーポラの軸線をふまえる。パラッツォからもヴィッラがみえる関係がある。

ヴィッラは風景へ細心の配慮が払われている。邸宅さえも外の景色をどうみるかということに腐心していた。自然と正面から向き合っている。それもシークエンスで人が実際どういう風に訪れるかをしっかり設定している。

風景や庭について考えてみよう。

まず場所によって空間の見え方がある程度決まっている点。シークエンスを意識しているといよりもシークエンスを拘束しているともいえる。もっと細かく説明すると動線を拘束している。つまり、x-y軸の直線的な行動範囲を規定する。帯のような空間というか、動線空間がある。ヴィッラ・フィエゾレでは直線、ヴィッラ・プラトリーノは曲線。フィエゾレからプラトリーノはかなり変わっているが、その線的に行動範囲を縛るのは似ている。
縛るという言い方は良くないかもしれない。やんわりと規定する。だからフィレンツェ方向の軸をそれとなくいれることができる。自然ではありえない、彫刻的なトピアリーとまっすぐな道、幾何学的な植栽。そうすることで方向性ができ、よりフィレンツェの軸を際立たせることができる。フィエゾレでは。自然と人工のバランス。そして見え方を拘束する。風景がどこからでもみえるのではなく、そこからしかみえないという環境を作り出す。風景を所有するなんて、どれだけ贅沢なんだろう。風景は空間のレイヤーである。前景、中景、遠景があって初めて風景である。しかも単純な漠然とした風景、自然の風景でなく、都市を眺める風景であり、そこにクーポラがあることで風景の曖昧さを取り除き、細かな風景として見られる。
ヴィッラの建築家側は前景を用意し、あとは風景が独占できるように、指定した場所から見えるようにしむければ良いのである。そうするとクーポラの果たす役割や、その距離感はとても大事だ。馬でいける距離かつ、離れていながらもフィレンツェの都市を所有しているような感覚をもつような距離感が良い。

ヴィッラの各レイヤーやレイヤーを構成する要素に興味がある。

ヴィッラ内のレイヤーは幾何学的な比例原理に基づく手法にしたがってきっちりとつくられている。ヴィッラ・フィエゾレは奥行き方向が短く、その分コンタにそう方向が細長くなったのだろう。ヴィッラ・カステッロはそれに対して奥行き方向のほうが長く、各レイヤーの奥行き方向も長い。それゆえ段差でなく、斜面のまま整備された庭もある。ヴィッラ・カステッロの大きな特徴はエントランスが一番下からで庭園のレイヤーの最下部にある邸宅を糸杉の間から眺めてアクセスする点ではないだろうか。その邸宅の前には白鳥の湖ややり台がある。その邸宅内部を通り過ぎ(つまり門のように邸宅がある)、斜面庭、噴水とヴィーナス像を通りグロッタにいきつく。グロッタとは小石、石灰石などを丹念に張り付けた人工洞窟風の装飾の事でオルフェウスと異国の動物たちが中におかれいる。そしてその上のレベルまでのぼると眺望を楽しむテラス。森の中心には巨大なブロンズ像がおかれる。そして邸宅の屋根の向こうにカステッロの街並、その背後に、アルノ川の谷の全景がある。一連の空間を軸線上に配置した末に、最大のエレメントであるアルノ川の景色を加えた。フィエゾレと同様シークエンスを意識しているが、より多くのエレメントがシークエンスの中に配され、一連の独立した空間が軸線上に1つずつおかれている。グロッタや彫像、または庭園の誇張された遠近法はマニエリスム的といえる。


ヴィッラ・ペトライアの敷地にもともとカステッロが建ってた。糸杉によってフィルタリングされた道を抜けると一気に広がる二極性はマニエリスムの特徴である。邸宅は庭園内の最上部にあり、入り口は下の庭園にある。庭園は斜面にある。最も低いテラスは花が植えられた庭園、次に高いテラスとは邸宅の主軸線上の、左右から上る対象形の階段で結ばれる。そのテラスには魚の池、動物の形の生け垣がある。邸宅の建つ一番上のテラスへは、魚の池の東端という偏った位置にある階段を使わなくてはいけない。東対角線方向にフィレンツェがあるためで、望楼や彫刻がおかれ、非対称になっている。


ヴィラ・プラトリーノはメディチ家のブオタレンティがヴィラの邸宅と広大な庭園を設計したものである。このヴィラが位置する丘を擬人化してゲニウス・ロキ(地霊)を表した巨大なアペニーノの彫像がジャンボローニャによってつくられている。芸術家を招いて数多くのグロッタや噴水がつくられた。このヴィラはアペニン山脈の南の丘陵地にあり、ここから南方向へは、フィエゾレに至るまでの眺望が開けている。モンテーニュによれば、フランチェスコ1世はこの樹木のない山がちな土地を慎重に選び、彼の手になる傑作を自然に足して誇示した。ブオタレンティはヴィラ周辺のランドスケープを自然のアンフィテアトロ(円形闘技場)に見立てた。このヴィラは自動人形や水オルガンなど、自然に起こる場面をそのまま模倣し、人間の五感すべてに襲いかかるように設計されていた。このヴィラの豊かさの中に、すべての面からのマニエリスムが結実している。官能、動勢、曖昧、驚愕、想像のすべてが主役を演じている。また、軸性と迷路性も2つが別れて隣接しているのではなく、双方が二重性をもって織り込まれながら統合されている。この設計では人の移動が重要な条件となっている。訪問者を1つのアトラクションから次のそれへと動かしていく。他のマニエリスムのヴィラと比較すると、ここでは主軸線に沿った移動は他の小道と同程度にしか重要でない。この主軸線上の道の主な機能は、大きな秩序ある空間をつくり、邸宅の階段に立って敷地境界を見通す所有者に遥か彼方のフィレンツェの方向を示すことにあった。


ヴィッラ・ガンベライアはフィエゾレのヴィッラと似たような敷地に立つ。庭園は噴水と彫像で飾られると共に、邸宅と直交する位置に、グロッタと果樹園への入り口をもつ芝生の球技場がつくられた。フィエゾレもガンベライアもアクセスの道からは見えず、建物の中に入りテラスに立って初めて全景が眺められ、ランドスケープとの関係が明らかになるようにつくられている。ガンベライアの平面はスタンツァ(調節)のコンセプトに従って設計されている。庭園を構成する各部分は1つずつモチーフをもつ。テラスとグロッタからフィレンツェの全景が眺められる。邸宅内部の中庭はひとつの内なるロッジアとして捉えることができる。邸宅のロッジアはファサードの中心部ではなく、2階の角にある。対称性を崩すあつかいであるが、ここからの眺めでは、庭園を手前にしたランドスケープとフィレンツェとが1つにつながるものである。

ヴィッラ・ポッジョ・ア・カイアーノはカステッロの改築。防御システムは継承しつつ、容貌はポルティコをつけるなど優雅なヴィラ。敷地に壁がめぐり、4隅に監視塔をもつ。

ヴィッラ・アルティミーノは同様にカステッロの改築でポルティコがつけられている。

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