2012年7月11日水曜日

ヴィラ

ヴィラまたはヴィッラ(villa)は、本来は上流階級カントリー・ハウスを意味し、古代ローマが起源だが、ヴィラの概念と機能は時代と共に発展してきた。共和政ローマが終焉を迎えるとヴィラは小さな要塞化された農場の複合家屋となっていったが、中世を通して徐々に再発展し、贅沢な上流階級のカントリー・ハウスとなっていった。現代では、特定の種類の一戸建て郊外住宅を指す。(wikipediaより)


メディチ家はフィレンツェ共和国時代とトスカーナ大公国時代を通して18のヴィラを建設した。古代世界ではすでに、多忙な都市の存在と田園における休息の存在を交互に使い分けていた。アルベルティは「建築論」の中で、ヴィラの理想的な位置は遠すぎず近すぎず(馬の時代)丘や平野のみならず、自分の都市が眺められる地点が良いと記している。ヴィラにおける田園生活の享受は、都市との関係の中でとりおこなわれていた。ヴィラが形成させる可能性は、都市が周辺部への支配力を増し、田園防御する必要がなくなった時である。ローマ時代の帝政期とルネサンス期15世紀以降で、その間の中世はヴィラではなく、カステッロ(居城)とポデーレ(農場)しかない。15世紀のフィレンツェ周辺では、メディチ家が古代のヴィッレッジャトゥーラの理想を復興させる言動力となった。アルノ川の両岸を中心に古代のヴィラ・ルスティカ(田園生活)を実現させた。


メディチ家が本格的なヴィラ建設を開始したのは、コジモ・イル・ヴェッキオ(1389-1464)の時代である。初期は14世紀に存続していたカステッロを改築したものであったが、その後ミケロッツォによるフィエゾレのヴィラで改築型を脱する。それは、田園生活の文化的理想が、既存の貸すテッロや農家といった伝統的文脈から切り離され、独立した建築形態として進化を遂げた最初のヴィラだった。


フィエゾレのヴィラはアルノ川から約250mの高さ、フィレンツェの中心から約5kmの距離にある。起伏のある敷地の南面は急峻な崖をつくり、ファサードはそれに抗してテラス上に力強く立ち上がる。ヴィラは南側の斜面にあるため、冬期の北東からの冷風から護られている。夏期には西側から海風が運ばれ冷気をもたらす。建物は自然の地形に沿って並び、東側の眺めは閉じられてムニョーネ川の谷の方にむき、そのはるか彼方にアルノ川の谷を望む。建物全体がバルコニーのように配置され、南にアルノの谷、西端にフィレンツェを見渡すことができる。ヴィラは3つのレベルからなる。北側テラス、建物のレベル、南側テラスの3つである。北と南の高低差は11~12mで、その間はパーゴラが載った重厚な壁体で支えられている。南側のテラスは行ったり来たりすることができない。曲がりくねる外の小道を通らない限り、この2つのテラスは邸宅内部だけを通して連結されている。


このようにフィエゾレのヴィラでは厳密に動線が導かれている。各場所にみてほしい方角、景色が決まっており、シークエンスの設計が細かくなされている。みられるものについては幾何学にもとづいたシンメトリーなどが特徴としてみられる。平面形もある単位の倍数でつくられる。幾何学的整合性をとるために窓のない場所にそこから見えるはずである絵を描くなどの手法もみられる。フィエゾレのヴィラはフィレンツェを望む方向と直角方向に重ねられた断面差をもつレイヤーに動線を通し、時折、フィレンツェ方向に視界を広げるという特徴がある。


ヴィラ・カステッロではヴィラ・フィエゾレと同様にフィレンツェを眺める方向ち直行にレイヤーを重ねている。フィエゾレと異なるのはレイヤーの数が増えたこと、斜面が取り入れられたこと、レイヤーに平行方向の動線の距離が短くなったこと、そしてレイヤーの一番下に建物が入ったことである。また、庭園は美術品で装飾され、数多くの新しい彫刻や人工物が自然から喚起されて付加された。ヴィラ・カステッロはフィレンツェの領域で初めてマニエリスムのヴィラであり、一連の独立した空間が軸線上におかれ、ルートがそれぞれを結んでいる。


ヴィラ・ペトライアはカステッロを作り替えたものである。邸宅中央の塔は望楼に改築され、ほぼ正方形の平面をもつ邸宅の中にはアトリウムがある。庭園は丘のやや急な斜面にあり、3つのテラスに分けられている。ヴィラ・カステッロとは対照的に、テラスは邸宅前方の低い位置にあるため、庭園を前景として邸宅がそびえ立つ。最も低い位置にあるテラスは丘の斜面に沿って大きく広がり、花が植えられた庭園をつくっている。一番下のテラスに植えられた背の高い樹木のスクリーンが主軸線方向の眺めを妨げているため、対角線方向のフィレンツェの眺めは一層強調されている。フィレンツェの眺望を強調することにより、主軸線による全体構成に非対称性を与えた。


ヴィラ・プラトリーノはブオタレンティによって広大な庭園とともにつくられた。このヴィラが位置する丘を擬人化してゲニウス・ロキを表した巨大なアペニーノの彫像がジャンボローニャによってつくられている。芸術家を招いて数多くのグロッタや噴水がつくられた。


自然との調和は数多くのランドスケープの場面に示されている。このヴィラにおいては、模倣は「自然」の象徴的な表現であるよりはむしろ、自然に起こる場面をそのまままねている。


邸宅の主軸線上に、南面の並木道に沿って小さな噴水が連続してつくられ、その水煙に虹が輝く時は、後方の邸宅を七色の光で包み込んだ。数多くの仕掛けが庭園のさまざまな場所で音楽や音を奏でた。モンテーニュによれば、人間の五感すべてに襲いかかるように設計されていた。このヴィラの豊かさの中に、すべての面からのマニエリスムが結実している。官能、動勢、曖昧、驚愕、想像のすべてが主役を演じている。


この設計では人の移動が重要な条件となっている。それはカスケードや噴水での水の流れに似て、訪問者を1つのアトラクションから次のそれへと動かしていく。他のマニエリスムのヴィラと比較すると、ここでは主軸線に沿った移動は他の小道と同程度にしか重要でない。それは単なる全体のルートの中の直線道に過ぎないのである。この主軸線上の道の主な機能は、大きな秩序ある空間をつくり、邸宅の階段に立って敷地境界を見通す所有者にはるか彼方のフォレンツェの方向を示すことにあった。





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